■1985.12 K2
物を見たり、感じたり、触れたりすること。
視覚や触覚は、自分の頭の中のディクショナ
リーを通さない分だけすごく正直なんだと思
う。
自分の状態をストレートに映し出してくれる
ものだと思う。
それは、見あきた街の景色さえも新鮮に見る
ことができるもの。
そんな無意識のコントロールができれば、い
いものを作ってゆくことができるだろう。
そのいいものができたら、次は、それを人々
に感じさせるために、頭の中のディクショナ
リーを使って、様々な形のメディアを考え出
さねばならない。ここでは、目には目を、歯
には歯を、といった手段も、時として必要に
なってくる。
だからこそ、僕は作りたいものに対しては子
供でなくちゃいけないし、それを表現する部
分は大人でなくちゃいけない。

分かっていたつもりだったし、そうやってい
るつもりでいたんだ。

ところが……
最近、男として大変な誤りをしていることに
少し気づいた。
女性に対してそうじゃなくなってしまってい
たんだ。女性に対して正直じゃなくなってし
まっている自分がいたんだ。
いいものを作ろうとする自分の感覚を守るた
めに、愛することを犠牲にしてしまっていた。
社会的に、経済的に、どんなレベルの高い価
値観を作ったとしても、いちばん基本的な部
分でのいい男でなければ、人間としての意味
がない。
どんなにいいものを作りあげたとしても、満
足できるものじゃなくなってしまう。

少し、静かに考えてみたいと思ってる。
愛する人々のために、僕のために……。