■ 1986.3 K2
もう随分前のことだけど、雑誌のグラビアの
はしに「Rock’n Rollとは、ニューヨークの
地下鉄の落書きされたコンクリートの壁の中
からにじみ出て来るもの」なんて記してあっ
たのを見た時、
ある種の感動とジェラシーを覚えたことがあ
った。
だからそれを捜さなければ、見つけなければ、
感じなければいけない。そうしなければ
Rockは自分の中に存在しえないと思った。
しかしながら今考えると、バカな事を思った
ものだと思う。僕達がどれだけそれを知ろう
が覚えようが、それは研究した結果の知識で
しかなく、感じた物に決してなりえない。逆
に感じたとすれば、おかしな事になってしま
う。
僕達は彼等のように500gもあるハンブルグ
ステーキサンドを食べたりしないし、車のバ
ンパーはぶつけるための物たとも思ってない
し、LunchtimeのT.Vは楽しいものよりも悲
しそうな不倫ものでも見ている方がしっくり
いく。僕達は彼等とはちがう価値観を沢山も
っている。彼等も同等にもっている。どちら
がすばらしいものだとは答えられないはず。
彼等の音楽はすばらしいと思う。
だからこそ彼等のカッコよさを、まねても彼
等には勝てないし、リアリティーもない。僕達
はそこで生活していないから。
だから、僕達は
僕達のセンスに素直にやればいいし、
僕達の生きざまをShoutすればいいし、
僕達がぎりぎりのところまでShoutすれば
いい。
それがRock’n Rollみたいなものじゃないか
なあ。
ようするに、
Rock’n Rollがハンブルグステーキサンドウ
ィッチなら僕達のmusicはさしみに水たき
だと思った。