Vol.17  1987.4
#6



KOJI WATCHING
健全だったイタリアの生活


 3月12日、2か月間に渡る日伊合作映画「シャタラー」の撮影を終えて晃司が無事、日本に帰って来ました。
イタリアでも生活・映画の撮影の様子等、マネージャーとしてただ一人、晃司に同行した富樫巧さんに伺いました。
 「撮影スケジュールはあるんですけれど、全然その通りに進まないんです。
次の日のスケジュールが決まるのが夜中で、それから晃司に連絡。
撮影は日が暮れると終わりになります。
1日だけ、夜中の1時迄っていう日があったんですけれど、普段は7時か8時。
一端ホテルに戻ったあと、外に食事に出て10時半か11時に帰って来てから、ホテルのバーで少し飲んで12時に就寝、翌朝6時か7時半起床というサイクルで、かなり規則的な生活をしていましたね。
晃司が撮影している間、僕は見ていて後で感想を言ったり、『このシーンは果たしてこれでいいのかどうか』を晃司と話しあって、次の日に監督に言ったりもしました。
映画自体、今迄と違って、吉川晃司を脚本にした映画でなく、俳優として演じるわけだから衣装も、俳優としての衣装なわけ。
黄や赤のポロシャツとか、Gパンにジャケットとか、始めは派手な感じがして抵抗があったけれど、2か月もいるとイタリアの空気に慣れてしまって何とも思わなくなる。
でも、映画を見た人達はきっとビックリするでしょうね。
 イタリアに行って2週間目くらいに、トランスポートの運転担当のイタリア人の男の子を、日本の食堂に案内してあげたら、その後に僕等を下町の大衆食堂に連れていってくれたんです。
その日は、(カメラマンの)ハービー・山口さんの誕生日で、次の日は日曜日でお休みだからみんなでディスコに行こうということになった。
ところがそのディスコっていうのが、ローマから高速で1時間くらい行ったところ。
まるで、日本の田舎の何もないところに、ポツンといきなりパチンコ屋があるみたいでしたね。
1月31日に三船敏郎さん(映画に出演)と一緒に食事をして、その後(この日は、社長の悲報を国際電話で聞いた)2人で、ローマでお通夜をしようということになって、深夜の12時に開店するBarに行って3時くらいまで飲んで……。
次の日は、さすがに二日酔で、夕方まで起きられませんでした。
夜、外に出かけたのはその2回。
ローマって田舎で、ネオンがないんです。
だから、ほとんどの夜はホテルにいましたね。
テレビを見たりしてましたよ。
 土、日は一応休みなんですけれど、コンサートのパンフレット用の写真の撮影をしたり、プロモーションビデオの撮影でロンドンに行ったりと忙しかったです。
 イタリアに行って、イタリア人と接触することで彼等の国民性というか、自己主張をすることが、晃司もより明確になったんじゃないかな。」