Vol.20  1987.10
#2


COOL & TIGHT
『ありたい自分』への拘りが"男"をみがいてい

「俺は職業作詞家じゃないから、ひたすら机に向かってカリカリ書くっていうのは出来ない。
ハッと思った時にその場で書いたりする。
車の中とか、酒飲んでる時はコースターの裏に書くとか。
詞を書くことが巧くなりたいとは思わない。
自分の感じた事を自分の言葉で書けるようでいたい。」

コンサートでも男が増えたのは、一重に吉川晃司が"男として、カッコイイ男"だから。
でも、晃司はその先で「自分の納得のいく、カッコイイ男になりたい」と言う。

「男の美学、みたいなものへの拘りはある。
その拘りの形は自分の中でいつも持っていたいし、その方が何かあった時に楽だから。
『俺はやるんだ!』って人に言っちゃったら、その途中『冗談じゃねえや』って怒りたくても、この前やるって言っちゃったから、やらないとダメだ、みたいに。
そういうのをいっぱいつくった方がいい。
僕は、黙ってて隠し通して最後に花を咲かせてビックリさせるっていうのはダメだから…。
やりこなしている様な男でありたい。
野球選手でいうなら、『最近どうも調子悪いんだよね』って言っていい加減な打ち方してみたり、表面上はヘラヘラしてる。
でもやる時はやるっていう落合みたいな男が好き。
クールでタイトでありたい、っていう部分は変わらないけど、より自分自身に近いものが出来た。」


4か月のアルバム制作期間の内訳はレコーディングに入ってからの同時作業もあるが、およそのところ詞に3か月・曲に1か月、"自堕落な作り方"と称す晃司。
「あれもしなきゃこれもやらなきゃ、みたいなせっぱつまったものはなかったから、精神的ゆとりを持ってやれたんじゃないかな」とはスタッフの弁。
自堕落という言葉の中に、いろいろな意味がこもっているようだ。
何せ、予定通りのスケジュールで出来たのは今回が初めてなので…。

「音的には、今まであった"ビックリ箱"みたいな脅かしモノを止めて、もっとスケール感を出したかった。
日本のロックとかニューウェーブは、とにかく音数が多くてテンポが早いわけ。
それでハデさを出そうとする。
日本語で歌っている限り、そのサガからは逃れられないから、いわゆる洋楽でニューウェイブっていっているもの程はゆっくり作れない。
じゃあその2つの間のテンポでやろうっていうことで、今までより少しテンポを落としてある。
ボーカルも、いつもより一音半くらい高いキーで歌ってるんだけど、そういう部分でシャウトなものを出したかった。」


アレンジは清水信之、キーボードから何から全ての楽器をこなす。

「凄いプライドと、こだわりを持った人、『この部分はこういう感じで』というのを、その通りに作ってくれる。
『一応出来る迄は何も言わないでくれ』っていって、3時間位、ひとりでスタジオに入ってる。
暫くして"および"がかかる迄、ぼくらには"待ち時間"が続くわけ。」

「いちばんの収穫。凄さを見せつけられた。
教えられた事が沢山あった。」
その人--トラック・ダウンを担当した、ダニエル・エイブラハム。
デュラン・デュランの『ノートリアス』のミキサー。

「『コンピューター』と生音の微妙なずれまで、分かっちゃう。
"これはコンピューター、これは生"っていうのを、全部当てられた。
『歌いながら、足でリズムをとってる音が聞こえるから』って録り直しをさせられた。
ノイズも全部取ってくれて、音がとてもクリアーに仕上がった。
同じ音量でも、日本製のは、向こうモノより音が小さく聞こえるでしょ?
そういうのはない。
"ヤリッ!!"だね